「科学」に関する小論文(早稲田大学高等学院 H25) 解答
小論文(早稲田大学高等学院H25)の模範解答を以下に掲載いたします。
問 次の文章は「科学的とはどういう意味か」について論じたものである。筆者の意見を踏まえ、あなたは日常生活において科学的であるためにはどのようにすればよいと考えるか、901字以上1200字以内で述べなさい。なお、改行によって生じる空欄は字数に数えるものとする。(課題文は著作権の関係上省略いたします。)
科学とは一つの仮説に至る過程を明らかにし、その過程に従えば他者も同様の結果を得られるようなものをいい、単なる自己の領域において完結するようなものではなく、他者の厳しい検証を経てその正当性を獲得するようなものをいう。そして、その過程の客観性を確保するために数字や数式が用いられるものをいう、と述べられている。
科学が他者の承認を得ることを重視するということは、科学は一種のコミュニケーションであるといえる。よって、日常生活において科学的であるということを考えるにあたって、科学的内容の受信者としての注意点と発信者としての心構えの二つに分けて、自分ができることを考えていきたい。
まず、受信者としてある科学的内容の信ぴょう性を判断できなければならない。情報化が進んだ現代において、数字で表されたデータを目にする機会が増えたが、その数値がどのような過程で導き出されたかが詳しく提示されることは少ない。また、たとえその過程が示されたとしてもそこにはふたたび数字や数式が表れ、多くの場合、このような数字の羅列を目撃すると、その論理性を疑わずうのみにしがちである。たとえば、天気予報で降水確率という数値があるが、いったいどのような過程で数値が導き出されたのか説明されることは少ない。しかしながら、私たちはこの天気予報は経験則よりも科学的であると信じ、これに従って行動する。もし仮に農業を営んでいたら、霜よけ、かんがい施設の調整、収穫時期までもこの天気予報が示す数値によって決められるであろう。このように現代ではさまざまな事柄が数値化されて示され、それに基づいて行動しているが、必ずしも正しいとは限らないということをまず認識しておかなければならない。不明な点や興味を持ったものがあるならば、自分なりに調べてみるのも日常生活における科学的な行動といえるのではないか。そして、学校教育を通じて、数字や数式の扱い方に慣れたり、資料の特徴とその活用方法を学ぶことも重要である。
次に、発信者として積極的に自分の考えを表明してその同意を求めるような、開かれた自己であらなければならない。なぜなら、科学とは多くの人との対話で仮説を形成していくことであり、そのような人と人との交流なしに、人間の幸福につながる科学は存在しえないからである。日常生活においては、言葉とともに必要に応じて数字や数式を用いて自分の考えを明らかにしていく。当然、他者からの厳しい批判もあるであろうが、そのような批判からさらに自分の考えの至らない点を修正し、また表明していく姿勢が科学的であるための条件のように思える。(1078字)
0コメント